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2015年01月28日

今年のいつだったか

 赤いミニハイビスカスも咲きました。

 今年のいつだったか曾璧山中學、収納などに関して書かれたブログをよく見ていた時期がありました。それに触発されてベランダになんちゃってフェンスを作ったり、部屋の中の要らないものの整理や収納をしたことはここにも書いていたと思います。けれども、いつものように熱はすっと冷め、ブックマークしたブログも見ないしRSSリーダーからも外してしまって数ヶ月。気がつけばなんとなーく家の中が澱んでいます電動桌
 
 気にならないときは全く気にならないのに、ちょっと気づいてしまうと気になって仕方がない。……というのは私だけではないと思うのですが、ちょこっとやればすぐに片付くからこそ電動桌、普段は放置してしまうみたいです。その「ちょこっと片付ける」ということを、べつに嫌いではないんだから毎日ちゃんとやればいいのに、そもそも乱れが眼に入らなくなってしまうんだから困ったものです。

 たとえば今、パソコンの横を見ると本の背表紙が奥に入ったり前に出たりできちんと揃っていませんCellmax 科妍美肌再生中心。使って戻すときに無造作に戻すからなんでしょう。カッティングボードもノートも非常に「取り出しやすい状態」ではあるのですが、斜めになっていて見苦しい。それを揃えるだけで随分すっきりするのよね。  


Posted by kisstreea at 13:19Comments(0)記事

2015年01月20日

夢の中で鞄を置き忘れた

 座ったまま、こんな格好で寝てはいけないと思っているのに動けない。何か掛けなければとか、ちゃんと横にならなければとうっすら思うけれど、そのまままた眠りに引き込まれるnu skin 如新。決して気持ちのよい居眠りではなく、不自然な姿勢もつらいし寒さも感じれば頭も痛い。なのに動けない。じぶんの中で何か今までと違うことが起こっているんだなと思う。とりあえず、寝たいときに寝られるならば寝るのがいけなことはないだろうと寝るのだが、気づけば何もしないまま半日が過ぎてしまった。
 
 夢の中で鞄を置き忘れた。携帯もクレジットカードも免許証も入っているnu skin 如新。急いで走って戻るも、思うように走れない。扉がたくさんあってどの部屋に忘れたのか分からない。受付で訊いても届けはなく、きっと盗まれてしまったんだろう、ああ、どうしよう、いろいろ面倒なことだと焦っている途中で、これは夢だろう、夢であってほしい、夢に違いないと、無理矢理のように一度目をさました。夢でよかった。
 
 それから、今は音信不通になってしまった人から「お久しぶりです」とメールが届いた如新集團。残念ながらそれも夢だった。「今さ、電車の中で目の前に女の人が子犬を抱いて立っているんだけど、その両脇にサラリーマンがいて、そのひとりが女の人に話しかけたんだ。”きっとその子は父親似なんですね”って。おかしいでしょ?」 じぶんの唇がにぃーっとなるのが分かる。わだかまりが消えて心の底からほっとする。
 
 うっすら目が覚めてテーブルの上の携帯を見てしまうculturelle益生菌好唔好。しーんと静まり返っている。  


Posted by kisstreea at 16:02Comments(0)記事

2015年01月15日

物に関して言うなら

 土曜日あたりから頭が痛くて、あまり身体に血が巡っていない気がする。目が疲れているのかもしれないと、3DSには触らなくなった。まだ飽きたわけではないけれど、やらなくてもいいってことなんだろう。……と言ってる間にすっかり遠ざかるのが常で、それを「飽きっぽい」とわたしは思っていたけれど、実はただ熱中しないだけかもしれない史雲遜 有效
 
 熱中と執着は違うんだろうけれど、執着はここ数年で、だいぶ手放せるようになってきた。諦めたり忘れたりするわけではない。ただちょっと手を離す。捨てなきゃと思うとますます執着してしまうから、執着している自分を否定はしない。
 
 物に関して言うなら「捨てる」ことが増えた。何ヶ月か前に片付けた引き出しをもう一度片付けると、その時には捨てずに残したものが捨てられるようになっている。これから年末にかけて大掃除が楽しみでさえある。
 何度も書いているけれど、何かを捨てなければ新しいものは入ってこない。引き出しにも、心にもWIOM 評價
 
 行楽日和だった昨日から一転して今日は雨で暗く寒い一日だった。
 頭の痛いのは相変わらずで、足の裏が妙に冷たく、もしかして風邪をひいているのかなと葛根湯のお世話になる。のんびりしているときほど具合が悪くなるような気もする。と言ってもだるい時は仕方がない。今日は先週から借りていたDVDを2本続けて観てしまった。
 
 ひとつは『ビフォア・サンライズ』これはiPhoneの中にメモがあったのを見つけて借りた。この一年くらいの間にどこかで誰かの感想を読んだか何かで、とにかくメモしたのは私自身だろうけれど、ずっと忘れていたもの。もう一本は『ニュー・シネマ・パラダイス』 好きな映画の一番に挙げる人も多い作品だけど、わたしは初めてだった。
 
 岸本佐知子さんの『なんらかの事情』を手に入れたので『ヘルプ』(キャスリン・ストケット)と並行して読むことにする。早く頭痛よ去れ康和堂。  


Posted by kisstreea at 17:39Comments(0)life

2014年12月31日

うーーーむ

俺ぐらいの年になると、誕生日とか、年の変わり目なんちゅうものは、どうでもえー。っても、若い時分から、そうだった。俺は、他力の必要がない。誕生日とか年の変わり目とか、俺の意識の外の社会的なピリオッド。もちろん、それはそれで、いい感じ。でも、俺は、日毎、脳内変革に勤しんで居るから、別に、いらんのだ、うなもんnu skin

と、別に水を差すブログじゃないよぉ、そっ、俺は、夏祭りとか、年中行事は好きな方だ。人間が一体感を持つことは、大変にいいことでもあるし、大変に怖いことでもある。ベクトルの問題だ。ジャズ隊は、いいのだっ、なんの制約もない。自分を磨くだけなのである。うん、磨いて磨いて、海辺の小石化するわけねnu skin 香港 。アイデェンティティーなんぞ、いらん。小石で十分。
すっきりするどぉー。

ぎょ、などと、偉そうに書いて居るが、2015年は、すでにプロジェクトがぎっしりむっちり。

うーーーむ。まあ、どうせよっ、生きてんだったら楽しく行きたいわけ香港如新。二十歳でよ、詩書くの止めたフランスの兄貴もいればよ、日本の金子さんみたいによ、七十で大衆食堂でカレー食べて、息子にはステーキ。幸いにして、その後、エロ爺としてメディアで有名になって、後になって、えっえっえっ、すげえー詩を書く爺さんって、皆で驚いた。

テレビもインターネットも、モノホンの検索はでけんと断言してしまう如新香港。情報? 文化でも文学でもない。
  


Posted by kisstreea at 15:51Comments(0)如新集團

2014年12月10日

最高の美人だが


なじみの紫荆花をさらにオープンさせたこの純潔静美咲き夸り、散策する初冬の季節には七分花三分の葉の紫荆木に不自然なはそんなにの輝く。薄い紫色の花弁が自然にゆらし、平穏な枝の上で、総会に静谧で、無心な感じを与える。

叶黙り込んだ。一年、花をあけてくださいませ四半期対比、としているのは、いささかの花なのか、それとも木の花で飾った世话になりました。叶舞の1段の香りと王賜豪醫生、花守1世約、もしかしたら、彼らは私の考えなければならないのだ。長身の紫荆木と咲き乱れた火のような紫荆花人を引き付けるやすいので注意しやすいのも可愛いけど、楽しむ紫荆花が私に話してくれたなどと比べて、単なるの好きなこと、褒美を除いては、おそらくですから生じる一種の筆舌のコンプレックスをしましょう。私の爱し紫荆のみならず、それのための美しくて、それの妖艶俗离れし、更に重要なのは、紫荆花が満开しているところは、私の恋しい思いだった。

花が咲く季节は最高の美人だが、花が咲き四半期対比すると、私も结局はゼロの落成泥にひか作尘。にもかかわらず、散るジョーシ・ウィルソンにもう一人に敷き、薄紫の繁華街では、别の1种の米だnu skin 如新。全世界の紫荆花みたいなことを叩いて、全世界のべったりとついだった。それどこもかしこもの花びらに過ぎない、通行人何気なくを踏んだこともいるし、雨に濡れてさりげなく、何かの窓にされ、ほのかな香りと淡い哀調をしなければならない。紫荆花かもしれませんが、私とのコンプレックスは、このようなヘンなそれなのにがの忧え悲しみを担っている。怖かったです紫荆花散り、私を恐れたの忧え悲しみ、私は努力してそれを引き止めるけど、俺の叫びが私の舍てないで、私の注意にはすでにがはそんなにの無力だ。

薄い紫色の花を見ながら加茂川花びらを落として如新香港、私はずっと魂、私の胸に曲がるとともに伤。紫の花びらを淡々と散ってが付着している未干水滴になって、これはたぶんそれはまたできない事に消すことの涙を流した。

花が咲い紫荆花、爱してる。でもそれは、思春期後の立ち去って、大切にして花咲く季节には、私が见つからなかったはいいな表现の爱の方式を採択している活動佈置。花びらを大切にし、一枚ずつを取り出して一轮の花を、大切にしごとに1つの花が咲く季节である。が、大切にして私を大切にします。
  


Posted by kisstreea at 11:49Comments(0)diary如新集團

2014年12月08日

これからも

幸せの定義はmask house 好唔好

(健康とイヤな出来事をスグ忘れること)らしい。

その点で言えば私はパーフェクトかもしれない。

病気知らずの、医者いらず。(夫も子供も同様)

基本的に薬は飲まない。

風邪ぐらいなら、私の特製スープを飲んで、

自然治癒力を強く信じ、神に祈り、根性で治す。(笑)

イヤなことは三日寝ると忘れるmask house 瘦面

これから先の事はわからないが、

「これからも、私は病気しないのではないか」 何となくそんな気がする。



また、幸福度は遺伝するらしい。

幸せな家庭に育った子供は、幸福になる率が高いというのだmask house 面膜 好用

知能や財産は残せないけれど、幸福度は50%ぐらい残せる、のではないかと思っている。  


Posted by kisstreea at 13:41Comments(0)記事

2014年12月01日

領土拡大

フランス史の勉強をしていると、よく分かる。領土拡大、殺戮。延々と、私たちは、こういうことをしてきたのである。皆さん、ご存知の通り、同族を殺す、こういうアホなことをするのは我々だけである康泰領隊。富岡多恵子さんは、人間を「ヒト」と書く。どうしてなのか、私はよく知っている。

第二次世界大戦の終戦から、たかだか七十年弱しか経っていない。

七十年前まで、延々と愚挙を繰り返してきたのだ曾璧山中學、我々は。我々? 日本もフランスも止めたけれど、終わってはいない。世界の各地で、まだまだ愚挙は続く。愚かさに気が付くまで・・・。ほとんど、日常が幻覚になってくる。馬鹿なことだ。

領土拡大、殺戮、たぶん、この原型はnuskin 如新、私の独断では、性欲と打算と男と女、この図式にあるはずだ。男も女も、もう少し、その原型から抜け出した方がいいと思う。ホモとかレズ、それはそれで構いはしないけれど、そういう意味ではなくて、思考回路がフリーである限り、脳内の渋滞は起こらない。愚挙の彼方に、我々は芸術というものを発明した曾璧山中學。芸術、私には理知と同義なのである。だから、芸術家の嫉妬だ諸々の戦闘体制、もし、そうならば、名乗らない方が賢明と申し上げる。自称ほど、性質の悪いものはない。
  


Posted by kisstreea at 11:57Comments(0)記事康泰

2014年11月24日

この遊歩道は

 誰でもお気に入りの道があるのではないだろうか。ある人は銀座通り、またある人は故郷の小学校への通学路だったり、はたまたパリのシャンゼリゼ通りという人もいるかもしれない。

 私のお気に入りの道は、自宅から五〇メートルほど離れた地点から始まる康泰導遊、一キロ足らずの歩行者専用遊歩道である。なだらかな下り傾斜になっており、ぶらぶら歩いていると、やがて横浜市の相模鉄道緑園都市駅に辿り着く。通称「緑園遊歩道」という。春夏秋冬に花を咲かせる何百種類もの植物が根付いており、いつも緑のアーチに彩られている。遊歩道の両側には、高級感漂う一戸建て住宅が思い思いの意匠で軒を並べている。

 春にはソメイヨシノや八重桜が咲き乱れ、梅雨時はさまざまな紫陽花が細かい雨にそぼつ。初夏にはくちなしが純白な花の集団で目を引き、その甘い香りで歩行者を引き寄せる。秋は、もみじやイチョウが鮮やかな紅葉を演出する。

 この遊歩道は、緑園都市連合自治会、フェリス女学院大学、岡津高校など、地域の住民総出で一斉清掃が行われ、地域全体で大切に維持されている。平成元年度には、横浜市主催の「まちなみ景観賞」を受賞した。

 五〇〇メートルほど進んだ辺りの遊歩道の真中に、三本のメタセコイヤが聳え立っている。冬場は葉を落とすが、春夏秋には見事な緑色の樹容が実に美しい。私はこの木が好きで、ここに来るといつも足を止め、メタセコイアを見上げる。こころが癒されていくのが実感できる。私はこの遊歩道に勝手に「メタセコイア遊歩道」と命名した。

 遊歩道ができて二十余年、数え切れぬ位、この道を散策した。二年前からはフェリス女学院大学の社会人コースに出席するようになり、またしばしば附属図書館に行くので、この遊歩道は図らずも私の通学路になった。自宅を出て、百花繚乱の花をめでながら二十分ほど歩くと、フェリスの校門に辿り着く康泰導遊

 今年六月中旬、長女が待望の初孫を出産した。元気のよい男の子だ。娘婿が中国日産自動車に赴任中のため、娘は日本で出産し、十一月まで我が家にいる予定である。生後二ヶ月を経過し、ベビーカーでの散歩ができるようになった八月下旬以来、私は孫をコンビ社製のベビーカーに乗せて、メタセコイア遊歩道を毎日散歩するようになった。早朝の涼しい空気のなかを、蝉オーケストラのハーモニーをきき、孫の顔を見ながらゆっくりベビーカーを押していく。もちろん、蚊の襲撃から守るのも新米爺さんの大切な役目だ。
この時期は、気品のある白い百合が数本ずつ何箇所かに咲いている。さるすべりが二本康泰領隊、遊歩道をはさんで向き合い、紅い花を沢山つけている。
「ほら、百合だよ。さるすべりだよ」
まだ言葉も分からない孫に話しかける。犬を連れて散歩をしている上品な見知らぬ女性が、ベビーカーを覗き込み、「お孫さんですか」と声をかけてくれる。

 一緒に会社に入社した同期生の大多数はまだまだ現役で頑張っている。同期生より五年ほど早く退職したお陰で、ウィークデーの午前中に孫との散策を楽しめている。私の六一年間の人生で最も幸せな時間である。なにものにも替えがたい。家族の反対を押し切って早期退職を決意実行したことの正しさを実感すると同時に王賜豪、このようなことが可能になった僥倖とメタセコイア遊歩道に心から感謝したい。  


Posted by kisstreea at 17:42Comments(0)記事康泰

2014年11月18日

その男も

ドーバーの白い断崖の上に、ひとりの男が腕組みをして立っている姿が、カーフェリーの窓越しに見えた。私も似たようなことをするから、その男の気持ちが手に取るように分かるnu skin 如新

その男は、空と眼下に打ち寄せる白い波の飛沫を交互に見ていたはずである。

その水色の虚空へ飛ぶ勇気を思っていたはずである。
向こう側が、すぐ足元にあることに戦慄というより、柔らかい確認行為といった具合だろう。
消滅。なんとも甘美な夢想なのであるnu skin 如新

そして、彼の中に、引き返し家路を辿る、もうひとつの勇気が充満するのである。

その男も、くるっと、そこから立ち去った康泰領隊

以前、少しだけ吉増剛造さんの散文詩のことを記事にした。
うる覚えのまま、時々、私の脳内に木霊する。こんな意味の詩だった。
それは、君のすぐそばにある。線路を見たまえ。手首の細い血管を見たまえ。いつでも、それは君のすぐ近くにある。ほんの少しの勇気さえあれば、それは、すぐそこにある。でも、そういった勇気が難儀に思えるのなら、君の中の血管ひとつひとつが、もうひとつの勇気なのだ。

私の中で、毎朝、通勤電車がホームに入って来る瞬間に、このうる覚えの詩が木霊していた。
だから、会社を辞した康泰領隊

くるっと、自分自身へ帰宅した。  


Posted by kisstreea at 18:16Comments(0)diary康泰

2014年11月10日

そんな藤本も

何気ない一言が、人の将来を決定することがある。

直木賞作家でもあった藤本義一は、
”11PM” の司会をしたりと、 タレントの側面が強調されるが、
もともとは懸賞小説などで常にトップをとるという文才が光る人物だった。

同年代の小説家に井上ひさしがいる旅遊保險
どちらも、今は鬼籍に入っているが、
小説家としてなら、井上ひさしの方が知られる存在となっているが、
懸賞小説に応募すると、
常に藤本義一がトップをとり、井上は彼の次点に泣いていたという。

そんな藤本も、そんな駆け出しのときに、
ある作家に自分の小説を見てもらいに行ったところ、

「何にも書いていない原稿用紙だったら価値があるのに、
駄文を書き入れることによって、紙としての価値すらなくなってしまった」
と言われたという康泰領隊

この嘲笑するような一言で、「今に見返してやるぞ!」という気持ちになり、
彼をして懸賞作家への道を歩ませる原動力になったという。


作家として、そこそこ有名になったときに、その小説家にたまたま出会った。
(あんな評価を受けたが、こんな風になったぞ!)
という気持ちもあり康泰領隊
「先生に小説を見てもらいに行った藤本です」と言うと、

その一言を覚えていないどころか、

「いやー、ボクはあの時から いい作家になると思ってたよー康泰導遊

「・・・?!」
  


Posted by kisstreea at 11:17Comments(0)life康泰