から死なないと答えた

kisstreea

2015年02月12日 19:09

あるテレビ番組を見た。

それは十代の男女等が悩みを話し、数名のテレビタレントと話し合うといった内容だった。

ある少年は自殺願望があるという成長桌

走っている車に飛び込もうとしたこともあったそうだ。

少年の悩みは自分の将来に大きな不安

もしくは絶望といってもいい気持ちがあるという。

テレビの映像はきらびやかな夜の街を千鳥足で歩くサラリーマンが映し出されていた。

サラリーマンにはなりたくないらしい。

それも結構じゃないかと今の私は思うが

十代の少年なら深刻な悩みになりうることは知っている。

とかく十代の子はそれが全てだとか電腦椅、これさえなければだとかの心境に陥りやすい。

それが生活、もしくは人生の一部分でも悩みなどがクローズアップされてしまうのだ。

ある出演者が、なぜ今生きているのと聞くと、今日はテレビに出られて楽しい

から死なないと答えた。

それもまた少年らしい。

誰も明確な答えが得られぬまま、話が終盤になると、司会者が

ぜひ言いたいことがあるとお越しくださっている方がいますと話をふった。

大勢の人が見守る中電動桌、車いすに乗った若い男性が現れた。

その人は難病を患っており、手足を動かすことができず

顔の向きさえ変えられない障害者で

わずかに言葉を途切れ途切れに発することができた。

僕は自殺することもできない。

だから、死ぬなんて言わないでというメッセージを送った。

スタジオは重い空気になり、皆押し黙った。

そして、コメントを求められたタレントは、自分で死ぬことができないというのは

すごく重い言葉ですよねと首をひねりながら体裁よく答えた。

しかし、と私は主張する。

この比較は意味がないと。

難病を患っている男性と自殺願望を持った少年の悩みとは別個なのである。

難病を患っている人がいかに大変でも自殺願望を持っている少年の悩み

とは無関係で、それはそれ香港如新、これはこれなのである。

こんなことをスタジオで言えば番組をぶち壊すことになるだろうし

難病の男性を傷つけることになるかもしれない。

しかし、自殺願望を持った少年にはピンとこない比較なのは間違いない。

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